やなせたかしと小松暢の結婚馴れ初め!子供はいない!離婚や不倫など噂話は?

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国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親として知られる漫画家・絵本作家のやなせたかしさんと、奥様である小松暢(こまつ のぶ)さん。

お二人の結婚にまつわる出会いや馴れ初めが気になるところです。

今回は、やなせたかしさんと小松暢さんの馴れ初めやお子さん、噂話について紹介します。

目次
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やなせたかしの嫁は小松暢

やなせたかしさんの嫁・小松暢さんについて調査しましたので紹介していきます!

・顔画像やプロフィール

顔画像やプロフィール

やなせさんの妻である小松暢さんの顔画像やプロフィールは次のとおりです。

引用:高知新聞PLUS DIGITAL

名前:小松暢(こまつ のぶ)
生年月日:1918年
出身地:大阪府大阪市
学歴:旧制阿部野高等女学校
職業:元新聞記者・編集者
没年月:1993年11月、癌のため死去

暢さんの父親は、当時の日本最大の総合商社といわれた鈴木商店に勤務していたとのこと。

その影響か、暢さんも幼いころから毛皮のコートを着るなど裕福な生活を送っていたそうです。

引用元:高知新聞PLUS DIGITAL

女学校を卒業した暢さんは上京し、日本郵船に勤務していた6歳年上の小松総一郎さんと出会って結婚します。

しかし結婚してまもなく、第二次世界大戦が始まり召集された総一郎さんは戦後に帰国するも病死、暢さんは1人取り残されてしまいました。

総一郎さんと死別した後も、暢さんは旧姓にもどることなく『小松』を名乗っていました。

筆者

総一郎さんのことをとても大切に想っていたんだね

その後、総一郎さんが遺したカメラを持って高知新聞に入社した暢さん。

高知新聞社で初めて採用された女性記者の1人が暢さんだったそうです。

速記の達人”と呼ばれ、当時としては珍しいバリバリのキャリアウーマンだった暢さんは、後に『月刊高知』の編集者も務めました。

また、色白な美少女だった暢さんには豪快男勝りな一面もあったといいます。

同社が戦後初めて採用した女性記者だったという彼女は熱血な性格で、土佐弁でいうところの“ハチキン”な性格だった。

引用元:女性自身
筆者

男勝りな美人っていうギャップも暢さんの魅力だね!

仕事もバリバリこなす活発な美人の暢さんは、周囲の男性も一目置く存在だったようですよ!

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やなせたかし小松暢の結婚馴れ初め

やなせさんとさんの馴れ初めにはどんな背景があったのか、以下の3つについて調査しました。

出会い:1946年
交際期間:約1年
結婚時期:1947年

それではさっそく紹介していきます!

出会い

やなせさんと暢さんの出会いは戦後の混乱が残る高知県、共に高知新聞社に勤務していたことがきっかけです。

やなせたかし小松暢の出会いは1946年

引用:ORICON NEWS

やなせさんは暢さんより数か月後の入社でしたが、活発で美人な暢さんにやなせさんが一目惚れしたのだそう。

暢さんの強さと仕事にかける情熱が、やなせさんが惹かれた理由の一つだったといいます。

筆者

編集室でやなせさんの前の席が暢さんで、すぐに好きになったんだって!

また、いかにも男性にモテそうな活発美人だった暢さん。

しかし、やなせさんのほうは、女性のほうが焦れったくなるほど消極的で、女性をリードできずにフラれてしまうことも。

そんなやなせさんに暢さんがかけた一言が衝撃すぎました…!

交際期間

やなせたかし小松暢の交際期間は約1年

暢さんはある男性から熱烈なアプローチを受けたこともあったそうです。

そんな暢さんは、やなせさんの気持ちを試すような言葉をかけますが…

暢さん

ある男性から求婚されているんだけど、どうかしら

やなせさん

いい人らしいね、その人と結婚すればいい

こんな、思ってもないような返答をするほど、当時のやなせさんは自分に自信がなかったようです。

そんなやなせさんの様子をみていた暢さん、かなり大胆な一言をやなせさんにかけるのです…!

やなせさんの赤ちゃんが産みたい

この言葉で、やなせさんの心に火が付いたのだとか…!

その時、ぼくはこの人と結婚しようと決心した。

引用元:やなせたかし著『アンパンマンの遺書』より

出会いからおよそ1年ほど交際を続けたのち、暢さんが東京への転職を決めた際やなせさんも後を追って上京

やなせさんが受賞した賞金で食事をした際にプロポーズし、そのまま結婚に至ったといわれています。

筆者

やなせさんは暢さんを「おぶちゃん」と呼んでたんだって!

暢さんと常というやなせさんの行動から、暢さんに対する熱烈な思いが感じられます!

結婚時期

やなせたかし小松暢の結婚時期は1947年

やなせさんと暢さんの結婚生活は決して裕福なものではありませんでした。

最初は暢さんの友人家族が住む家を間借りしていたそうですが、2人の生活を大切にするためかなり古いアパートに住むことを決意します。

しかし、そのアパートは戦地を生き抜いたやなせさんでさえ「ひどすぎる」と言うほど凄まじいものだったそうです…。

お風呂なし
トイレは共同
欠落のある階段
つかまるほうが危ない手すり
トイレの屋根は穴あき

しかし、こんな状況でも暢さんは底抜けの明るさで、やなせさんを支えたそうです。

また、結婚後は暢さんがやなせさんの生活全般を支え、散髪までもしていたとのこと。

やなせさんが三越を退職して漫画家として独立するか迷っていた際には、「私が支えるから」と背中を押し、大きな決断を後押ししたエピソードも残っています。

引用:高知新聞PLUS
筆者

暢さんはやなせさんの成功に欠かせない存在だったんだね!

しかし、1988年アニメ「それいけ!アンパンマン」の放送が始まった年、暢さんは乳がんを患い余命3カ月と宣告されました。

懸命な治療の末に一命を取り留めた暢さんでしたが、体調は優れない状態が続いたとのこと。

そして1993年11月、やなせさんの手を握りながら静かに息を引き取ったそうです。

暢さんは生前、「子どもっぽい主人を置いていけない」と語っていたそうです。

筆者

やなせさんへの深い愛情と心配がにじむ言葉だね…

暢さんは、自分がいなくなった後もやなせさんがしっかりと生活できるのか、仕事を続けていけるのかを常に気にかけていたといいます。

創作に没頭するあまり、生活の細かな部分まで目が行き届かないやなせさんを、暢さんはいつも静かに支えていたのです。

最期の時まで、暢さんはやなせさんの未来を思っていたのでしょうね…

引用:ココハレ

1988年にやなせさんと暢さんがそろって新聞の取材を受けた際、記者から「これまでの人生を振り返ることはありますか?」と尋ねられた暢さんは、こう答えました。

ないこともないですけれど、振り返ったって戻ってきませんでしょ。だから、いつも前向き

引用元:「高知新聞」より

筆者

陽気な暢さんらしい言葉だね!

そんな暢さんは、晩年までやなせさんの創作活動を精神的にも生活面でも支え続けたといいます。

自身もバリバリのキャリアウーマンだった経緯から、仕事に全力をかけるやなせさんの気持ちを誰よりも理解していたのでしょう。

また、結婚してまもなく死別した総一郎さんの分まで、自分が夫を支えたいという思いがあったのかもしれません。

表に出ることは少なかったものの、夫婦の強い絆が感じられます…!

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やなせたかし小松暢に子供はいない

やなせたかしさんと小松暢さんとの間には、お子さんはいらっしゃいません。

やなせさんは晩年のエッセイやインタビューで、家庭を持っても、子供はいなかった。でもそれを悲しんだことはない」と語っています。

夫婦は子育てよりも、お互いを支え合いながら創作活動に情熱を注ぐ人生を選んでいたようです。

アンパンマンは、僕たちの子供のような存在だった。」
引用元:やなせたかし(著書「アンパンマンの遺書」より)

引用:高知新聞PLUS

この言葉からもわかる通り、やなせさんと暢さんにとってアンパンマンはただの作品ではなく、人生をかけて育てた命であり、希望でした。

実際、暢さんもまったく子供を望まなかったわけではありません。

やなせさんによると、プロポーズを受けた際、暢さんは「やなせさんの赤ちゃんが産みたい」と、率直かつ情熱的に想いを伝えてくれたそうです。

しかし、その願いは叶わなかったものの、暢さんは陰ながらやなせさんの創作を支え続けました。

引用:女性自身

表に出ることはなくとも、暢さんの存在がアンパンマン誕生に与えた影響は計り知れません。

アンパンマンが「空腹の人に自分の顔をちぎって差し出す」ほどの優しさを持っているのは、暢さんの持つ他人を思いやる力がモデルになったとも言われています。

また、自由奔放で強気な性格のキャラクター「ドキンちゃん」も、暢さんのサバサバした気質を映しているともいわれています。

引用:高知新聞PLUS

子供はいませんでしたがそこには、誰よりも温かく、愛情深い夫婦の姿がありました。

そして彼らの子どもとしてこの世に生まれたアンパンマンは、今もなお多くの人の心を照らし続けています。

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離婚や不倫など噂話は?

やなせたかしさんと小松暢さんに、離婚や不倫などの噂話はあるのか調査しました。

やなせたかしと小松暢の間に離婚や不倫などの噂話はない

やなせさんと暢さんの間に、離婚や不倫といったスキャンダルは一切報じられていません

長年にわたる夫婦生活の中で、波風の立つようなトラブルは一切なく、むしろ理想的なパートナーシップを築いていたことで知られています。

引用:やなせたかし写真館

暢さんは、やなせさんの創作活動に口を出すことはせず、常に一歩引いた場所から支え続けていました。

原稿や資料の管理をはじめ、生活面のあらゆることを引き受け、やなせさんが漫画家として全力を注げる環境を整えていたのです。

やなせさんもまた、暢さんへの深い信頼を寄せており、「自分の創作は彼女がいてこそ成り立っていた」とたびたび語っています。

引用:nippon.com

仕事上の判断に迷った時や、漫画家として独立を決断する場面でも、助言や支えがあったからこそ乗り越えられたといいます。

しかし、お互いの個性と役割を尊重し合い、感情をぶつけ合うのではなく、理解と信頼で補い合ってきた二人。

引用:高知新聞PLUS
筆者

理想の夫婦だね!

離婚や不倫といった噂すら存在しないその関係性は、強い絆と静かな愛情に裏打ちされた、深く温かいものでした。

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まとめ

今回は、やなせたかしさんと小松暢さんの結婚の馴れ初めやお子さんのこと、そして噂話についてもご紹介しました。

子供こそいませんでしたが、「アンパンマン」という希望をともに育てあげた二人の人生は、深い愛と信頼に満ちていました。

今も多くの人に愛され続けるアンパンマンの背景には、そんな温かい夫婦の物語があったのです。

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