長渕剛と志穂美悦子の結婚馴れ初め!子供は3人!元嫁・石野真子との離婚理由は?

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「乾杯」や「とんぼ」など多数のヒット曲を生み出し、魂のこもった歌と圧倒的ライブで多くの人々を魅了し続けるシンガーソングライターの長渕剛(ながぶち つよし)さん。

そんな長渕さんは元・日本初の女性アクション俳優の志穂美悦子(しほみ えつこ)さんとご結婚されています。

お2人の結婚にまつわる出会いや馴れ初めが気になるところです。

今回は、長渕剛さんと志穂美悦子さんの馴れ初めやお2人の子ども、噂話について紹介します。

目次
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長渕剛の嫁は志穂美悦子

長渕剛さんの嫁・志穂美悦子さんについて次の2点を調査しました。

・顔画像やプロフィール
・現在の活動

顔画像やプロフィール

長渕剛さんの嫁・志穂美悦子さんのプロフィールは以下のとおりです。

引用:毎日キレイ

名前:志穂美悦子(しほみ えつこ)
生年月日:1955年10月29日
出身地:岡山県西大寺市
学歴:岡山県立西大寺高校卒業
職業:元アクション女優、歌手、フラワーアーティスト
身長:163cm

志穂美悦子さんが芸能界に入ったのは1972年の16歳。

千葉真一さんが立ち上げたジャパンアクションクラブ(JAC)に入団し、本格的なアクションの世界へ足を踏み入れました。

翌年には映画『ボディガード牙 必殺三角飛び』でデビューします。

引用:映画ポップコーン

さらに18歳のときに主演した『女必殺拳』では、自ら激しいアクションをこなしながらも、清楚で若々しい魅力を放ち、一気に注目を集めました。

その後も数々の作品に出演し、「女性が本気で戦う姿」を日本映画界に残したパイオニア的存在となりました。

引用:amazon.co.jp

当時の映画界では、アクションはほとんど男性俳優のもの。

そんな時代に、スタントマンを使わず自分の体で挑み続けたのが志穂美さんでした。

ブルース・リーの空手ブームに影響を受け、「誰よりも先に挑戦したい」という気持ちを胸に、宙吊りや格闘シーンなど過酷なアクションにも真っ向から挑戦。

女性アクション俳優という新しい道を切り開き、多くの後輩たちのお手本になったのです。

志穂美さんは「迫力あるアクション」と「役の内面表現」の両立を大切にしていました。

アクションにだけ集中するのではなく、キャラクターの心情を深く掘り下げることで、等身大の女性像をスクリーンに描き出したのです。

現場では積極的にスタッフや監督とコミュニケーションを取り、作品への理解を深めてから演技に挑む姿勢も高く評価されました。

深作欣二監督から「君の肉体が躍動している様は美しい。迷うな、そのままで」と言葉をかけられたエピソードは、彼女がいかに信頼されていたかを物語っています。

現在の活動

家庭を大事にしてきた志穂美悦子さんですが、ここ数年はその枠を飛び越えて、本当に幅広い分野で活躍しています。

フラワーアーティストとしてはオリジナルの花作品を手がけて展示会やイベントで披露し、自然と芸術を融合させた世界観は高く評価され、海外展開や教育活動にも前向きです。

引用元:ORICON NEWS



さらに「鬼無里まり(きなさ まり)」という名前シャンソン歌手としても活動し、2024年に本格デビューするとコンクールで優秀賞やグランプリを受賞するなど、新たな才能を開花させました。

引用:kinasa_mari Instagram

また、健康面でも驚かされるエピソードが多く、筋トレやランニングに励み、ベンチプレスで日本一になったり、ニューヨークマラソンを完走したりと挑戦を続けています。

年齢を重ねてもパワフルに挑み続ける姿は、多くの人に元気を与えている志穂美さん。

そして2023年には長渕剛さん関連会社の役員を退任し、「新しいことに没入したい」と語っていて、これからはフラワーアートの国際展開や教育・講演、社会貢献など、さらに新しいステージへ進んでいくことが期待されています。

筆者

いくつになっても新しい挑戦を楽しむ志穂美さん、生き生きしててかっこいいね!

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長渕剛と志穂美悦子の結婚馴れ初め

長渕剛さんと志穂美悦子さんの馴れ初めにはどんな背景があったのか、以下の3つについて調査しました。

出会い:1986年頃
交際期間:約1年半
結婚時期:1987年8月29日

それではさっそく紹介していきます!

出会い

長渕剛さんと志穂美悦子さんの出会いはドラマの共演

長渕剛さんと志穂美悦子さんの出会いは、1986年に放送されたTBSドラマ『親子ゲーム』での共演でした。

引用:PR TIMES

二人はラーメン屋を営む夫婦役を演じていたのですが、その撮影中に大きなアクシデントが起こります。

激しい夫婦げんかのシーンで、志穂美さんが左手の小指を骨折してしまったのです。

そのとき、長渕さんは迷わず病院まで付き添い、献身的にサポートしたそうです。

この出来事をきっかけに二人の距離は一気に縮まり、自然と親密な関係へと発展していったと言われています。

交際期間

長渕剛と志穂美悦子の交際期間は約1年半

長渕剛さんと志穂美悦子さんの交際が始まったのは、1986年6月頃と言われています。

志穂美さん自身は「まるで吊り橋効果だった」と当時のことを振り返っています。

俗に言う吊り橋効果。危険な吊り橋の上で出会うと連帯感から恋愛感情が生まれるというあれです。私たちが演じる独身の男女が突然小学校3年生を育てる設定で、まさに吊り橋みたいな状況。
引用:美ST

また、志穂美さんが左手の小指を骨折してしまった事故から3カ月後の1986年9月、志穂美さんが長渕さんのマンションから朝帰りする姿を写真誌にキャッチされました。

引用:BS映画情報

当時、長渕さんは「熱が38度も出ちゃって、彼女が必死に看病してくれただけ」と親密交際を否定しましたが、その後の流れは急展開を迎えます。

同年10月、映画『男はつらいよ・幸福の青い鳥』の製作発表会見で、長渕さんは「盛り上がれば結婚ということになるだろうし」と発言し、ついに交際を認めました

志穂美さんも「私たちの交際は隠れてコソコソするようなものではありません。いつも堂々と付き合っていたいと思っています」と語り、二人の関係は公然のものに。

ドラマでの偶然のアクシデントから始まった恋は、周囲の注目を集めながらも堂々と進んでいったようですね。

結婚時期

長渕剛と志穂美悦子の結婚時期は1987年

長渕剛さんと志穂美悦子さんが入籍したのは、1987年8月29日

長渕剛さん30歳、志穂美悦子さん31歳でした。

交際当初から「結婚秒読み」と報じられていた二人は、ついにゴールインを迎えました。

引用:NEWSポストセブン

入籍直前の会見では、長渕さんが「3日前に婚姻届を“出しといてくれ”とスタッフに渡しました」とぶっきらぼうに報告し、わずか5分ほどで終了。

一方の志穂美さんは翌日の会見で「きのうの彼は悪気じゃないので誤解しないでくださいね」とフォローしました。

筆者

長渕さんの不器用さを誤解されないようにフォローする志穂美さん、素敵だね♪

さらに「彼のステージを早く子供にも見せたいから、できるだけ早く子供を産みたい」とのろけつつ、「クセのある男なので専業主婦をしたい」と語り、仕事を大幅にセーブする意向を示したそうです。

志穂美さんの引退に、衝撃を受けたファンも多かったようです。

当初、長渕さんは挙式を考えていませんでしたが、初婚の志穂美さんの希望で式を挙げることに

1987年9月17日、奈良県天川村の天河大弁財天社で極秘挙式を行いました。

引用:天河大弁財天社 公式HP

ここは芸能の神様として知られる神社で、勝新太郎さんや沢田研二さんも参拝した由緒ある場所です。

標高620メートルの山奥にあり、参列者は双方の両親とごく親しい知人だけ

早朝7時から始まった式は地元の人にも気付かれることなく、1時間ほどで静かに執り行われたそうです。

ただ、結婚後の生活は決して順風満帆ではなかったようです。

志穂美さんは「独身時代は仕事一筋で料理をしたことがなかった」とのこと。

初めて作った炒飯は具材の切り方が長渕さんに気に入ってもらえず、悔しさから流しに捨ててしまったとか

また、お味噌汁に“だし”が必要なことも知らず、長渕さんに「だしのとり方も知らないのか」と言われた際には、「知らないけどヘリコプターにぶら下がれるし、ビルの間もレンジャーで渡れる!」と反撃したというユニークなエピソードも。

筆者

反撃の仕方が可愛い(笑)

そして、長渕さんは次のような事件を起こしたことも…

1995年1月24日、長渕剛さんは大麻取締法違反(所持および使用)の疑いで逮捕されました。

これについては長渕さんは否認しており、尿検査も陰性だったため最終的には不起訴処分に。

しかし、この出来事は世間を大きく騒がせ、歌手生命すら危ぶまれる状況となりました。

そんな中でも、妻の志穂美悦子さんは夫を見放すことはありませんでした。

長渕さんのコンサートに同行し、スタッフへの気配りを欠かさず、まさに「縁の下の力持ち」として支え続けたのです。

さらに長渕さんの女性関係が報じられることがあっても、マスコミの取材に対しては夫をかばう発言をし、気丈に振る舞っていました。

引用:LIVE DOOR NEWS
筆者

国生さゆりさんとスクープされたこともあったね

世間からは「離婚してもおかしくないのでは」と見る声もありましたが、志穂美さんはインタビューでこう語っています。

「何より自分が選んで結婚した人だから、自分の判断が間違ってたとは思いたくない。ダメにしたらもっと悔しいから。一生かけて、死ぬときに夫婦でいてよかった、と思えたらそれでいいと思っています(笑)
引用:美ST

志穂美さんの強い信念と自身への誇りが感じられますよね。

しかし2025年の報道では、お2人が2年前から別居状態にあることがわかっています。

実は2年近く前から、長渕さんは自宅にほとんど帰らず、生活の拠点を個人事務所名義で借りている都内のマンションに移しているんです。

引用元:女性セブンプラス

さらに、長渕さんは現在個人事務所の女性社員と同棲しているとも報じられました。

今後お2人が夫婦としてどんな形で過ごしていくのかが気になるところです。

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長渕剛と志穂美悦子の子供は3人

長渕剛さんと志穂美悦子さんとの間には、3人のお子さんがいらっしゃいます。

第一子:長女
第二子:長男
第三子:次男

お1人ずつ紹介していきますね!

第一子:長女

引用:@ayanestagram_official Instagram

長女として1988年3月17日に誕生したのが女優・長渕文音(ながぶち ふみね)さんです。

明治学院大学を卒業後、ニューヨークで演技を学びました。

2008年に映画『三本木農業高校、馬術部』で主演デビューし、報知映画賞新人賞や日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞

その後、ニューヨーク留学を経て2014年に「文音」として活動を再開しました。

幼い頃からバレエを学び、母・志穂美悦子さんの指導でアクションにも挑戦。

映画『ばぁちゃんロード』などに出演し、「親の七光り」を乗り越えて独自の演技力で注目を集めています。

第二子:長男

引用:@wataru.oceansrecord Instagram

長男として1989年2月2日に誕生したのが長渕航(ながぶち わたる)さんです。

「WATARU」の名でラッパーとして活躍し、インディーズを中心にライブパフォーマンスを重ねています。

アーティストとしてだけでなく、プロサーファーの資格を持ちツアーに参加するほどの実力者であり、さらに極真空手では全国大会3位という経歴もあります。

スポーツと音楽、二つの分野で才能を発揮してきました。

父・長渕剛さんは息子の活動を尊重しつつも、バックアップはせず「自分の力で成功してほしいと見守ってきたそうです。

筆者

亘さんも2021年に結婚し、現在は父親としての一面も持っているよ!

第三子:次男

引用:@tsuyoshi_nagabuchi Instagram


シンガーソングライター「ReN」として知られています。

次男として1994年2月28日に誕生したのが長渕蓮(ながぶち れん)さんです。

もともとはレーシングドライバーとして活躍し、12歳からカートレースを始めてイギリスに留学。

全英カート選手権でベストルーキーアワードを2度受賞するなど将来を期待される存在でしたが、2014年にレース中の事故で腰椎を負傷し、レーサーの道を断念しました。

その後は音楽に転向し、2015年から「ReN」として本格的に活動を開始

年間100本以上のライブをこなし、FUJI ROCK FESTIVAL’15にも出演。

アコースティックギターとループステーションを駆使した独自のサウンドで注目を集めています。

筆者

3人のお子さんが全員芸能界で活躍されてるなんてすごい!

そんな素敵な3人のお子さんを持つ長渕剛さん、私生活ではとても子煩悩なお父さんだったそうです。

引用:香川中央支部 本部道場

まだ立ち会い出産が一般的ではなかった時代に、3人の子どもの誕生に立ち会い、運動会や授業参観にも必ず出席

小学校はあえて公立を選び、校庭にブルーシートを敷いて家族でお弁当を広げた思い出は、今でも大切に心に残っていると志穂美さんは言います。

一方で、しつけにはとても厳しい一面もあったそうです。

特に「嘘をつかないこと」には徹底していて、娘さんが塾をサボったときには庭に正座をさせて叱ったことも。

ただし勉強については「どうでもいい」と考えていたそうで、「好きなことを一生懸命やりなさい。それが将来必ず身を助ける」と、子どもたちに情熱を持つ大切さを伝え続けたそうです。

引用:美ST

また、あるミュージシャンの奥さまから「60歳を超えたら丸くなるわよ」と言われ、志穂美さんは期待していたそうですが、「うちは変わりませんでした(笑)」とのこと。

夫としても父としても存在感が大きく、時には厳しすぎると感じることもあったものの、その存在の大きさゆえに、逆に子育ての苦労をあまり感じなかったと志穂美さんは振り返っています。

長渕剛さんと元嫁・石野真子の離婚理由

長渕剛さんは志穂美さんと結婚する前に、女優の石野真子さんと結婚し離婚をされています。

長渕剛さんと元嫁・石野真子さんの、離婚理由について調査しました。

長渕剛と元嫁・石野真子の離婚理由はコミュニケーション不足

長渕剛さんと元妻・石野真子さんは、1981年に結婚しましたが、結婚生活は長くは続かず、1983年5月に離婚という形で幕を閉じました。

わずか1年半ほどの短い結婚生活だったことから、その理由については当時からさまざまな憶測が飛び交っています。

一部の週刊誌では、二人の間に激しい言い争いや衝突があったのではないかと報じられました。

引用:週刊実話WEB

中には家庭内での言動が原因とされる記事もありましたが、石野さん自身はその点を詳細に語ることはなく、後にコミュニケーション不足だった」と振り返っています。

この言葉からも、お互いの思いや考えを十分に共有できなかったことが、関係悪化につながった可能性はありそうです。

また、当時は長渕さんの母親と同居していたこともあり、義母との関係が石野さんにとって精神的な負担になっていたと伝えられています。

家庭内での複雑な人間関係が重なったことも、結婚生活を続ける上で大きな壁になったのかもしれませんね。

別居から離婚へ

1983年3月には石野さんが家を出て別居を開始、その後5月に正式に離婚となりました。

当時の週刊誌は二人の関係悪化を大きく取り上げ世間を騒がせましたが、実際のところは本人たちにしか分からない部分も多くあるのかもしれません。

まとめ

今回は、長渕剛さんと志穂美悦子さんの結婚の馴れ初めやお子さんのこと、また元嫁・石野真子の離婚理由についても紹介しました。

結婚生活では喜びも葛藤もあり、その経験は二人にとって大きな節目となりました。

現在は別居し別々の道を歩んでおられるとのことですが、それぞれが自分らしい人生を築き続けています。

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