高市内閣発足後より、財務大臣を務められている片山さつき(かたやま さつき)さん。
そんな片山さつきさんは実業家の片山龍太郎(かたやま りゅうたろう)さんとご結婚されています。
お2人の結婚にまつわる出会いや馴れ初めが気になるところです。
今回は、片山さつきさんと片山龍太郎さんの馴れ初めやお2人の子ども、噂話について紹介します。
片山さつきの夫は片山龍太郎

片山さつきさんの夫・片山龍太郎さんについて次の2点を調査しました。
顔画像やプロフィール


名前:片山龍太郎(かたやま りゅうたろう)
生年月日:1957年4月5日
出身地:東京都
学歴:慶応義塾大学経済学部、慶應義塾大学大学院
職業:実業家
趣味:ゴルフ、テニス、美術、音楽
片山龍太郎さんは、実業家・起業家として活躍された片山豊さんを父に持ちます。
片山豊さんは、マルマンH&Bという会社の創設者として知られています。
昭和の面白CM「私はこれで会社を辞めました」でおなじみの、禁煙パイポを生み出した会社です。

そんな、経営者としての父の背中を見て育った片山龍太郎さんは、慶応義塾大学に入学し、経済学士と社会学修士を取得。
その後、アメリカへ渡り、ハーバードビジネススクールでMBAを取得し、経営のスペシャリストへの第一歩を踏み出します。
片山龍太郎さんの主な経歴は以下の通りです。
1994年~ マルマン株式会社代表取締役社長
2003年~2006年 産業再生機構執行役員
2006年~ ジュリアーニパートナーズ在日代表
2012年~ クリスティーズジャパン代表取締役
2016年~株式会社K-RIPE代表取締役
片山龍太郎さんは、かつて自身の父親が代表取締役を務めたマルマン株式会社の社長として就任後、企業の再建、立て直しを行います。
その後も有名な大手企業の社外取締役や美術団体理事なども務められました。
筆者これまで、片山龍太郎さんが関わったM&A案件(企業の合併や買収)は100件以上にも上ります。
その経験と知識の豊富さから、日本の企業再建、経営の立て直しに無くてはならない人として活躍してこられたことが分かります。
現在の活動

片山龍太郎さんは現在も、以下の経営に携わっているようです。
株式会社ケイライプ代表取締役
株式会社アクセルマーク、株式会社スタートバーン各社の社外取締役
株式会社ウィズ・パートナーズ顧問
JAPANDX特別顧問
一般社団法人日本アート評価保存協会理事。
片山龍太郎さんは、2025年現在68歳を迎えられていますが、企業の経営者、そして経営コンサルタントとして携わっています。
ちなみに、こちらは2023年のお正月に撮影された片山さつきさんの着物姿。

撮影者は、夫の龍太郎さんだそうです。
現在は、片山さつきさん、龍太郎さん、そして後ろに写っているウサギのオリンピック君が一緒に暮らしているようですね。
片山さつきと片山龍太郎の結婚馴れ初め

片山さつきさんと片山龍太郎さんの馴れ初めにはどんな背景があったのか、以下の3つについて調査しました。
出会い:1982年頃
交際期間:約1年未満
結婚時期:1990年
それではさっそく紹介していきます!
出会い

片山さつきさんと夫・龍太郎さんとの出会いは、片山さつきさんが東京大学を卒業して翌年の、1982年頃だったそうです。
実は、片山さつきさんは東京大学在学時、超優秀だったのとその美貌から、かなり目立った存在だったとか。
片山さつきさんは、東京大学3年生の時点で外務省の採用試験を受け、合格。
当時、片山さんにはこのような夢がありました。
片山さつきさん世界を飛び回る職業に就きたい
そのため、大学を中退し外務省で働くという選択肢も視野に入れていたようです。
ただ、外務省の最終面接官の方や、周囲から片山さつきさんなら大蔵省(現在は財務省と金融庁に再編・改称)に入れるだろうから、大学は卒業した方が良いと勧められ、進路を変えたとのこと。
筆者進路の選択肢が桁外れに凄すぎて、さすがとしか言いようがない…
そんな片山さんですが、大学時代は勉強漬けの毎日かと思いきや、しっかりと青春をエンジョイしていた場面も。

テニス部で活躍したり、サッカー部のマネージャ―を務めたこともあったとか。
さらに、あの東大にそんなサークルが存在したのかと驚きなのが、アイドルプロデュース研究会。
片山さんは、その研究会の人に誘われ、「an・an」や「non‐no」といった有名女性誌の読者モデルにも挑戦。
そして雑誌内の「可愛いあの娘No.1」に選ばれ、ビジュアル面でも目立った存在だったことが分かります。
片山さつきさん在学当時、東大文化1類は1学年630人の中で女子の人数はたった15人。

その美貌と優秀さから目立った存在だった片山さんは、男子学生たちから食事やデートに誘われることが多かったそうです。
そんな才色兼備でモテモテな女子だった片山さつきさんが現在の夫である片山龍太郎さんと出会ったのは、大学卒業後の翌年・さつきさんが23歳頃だったとのこと。
筆者2人は共通の知人を介して知り合ったそうです。
当時片山さつきさんは、念願だった大蔵省に入省。
片山龍太郎さんとは、数回デートしたそうですが、その後片山さつきさんはフランス国立行政学院に留学。
龍太郎さんもハーバード大学へ留学となり、2人は離れ離れに。
連絡も途絶えてしまったようです。
交際期間

片山さつきさんと、夫・龍太郎さんの交際期間は約1年未満ではないかと思われます。
まず、さつきさん、龍太郎さんの出会いは前述の通り1982年の、2人が20代の頃でした。

その出会いから約7年後の1989年に、詳細は後述しますが、片山さつきさんは別の男性と離婚を経験されています。
そして、片山さつきさんは離婚から約1年後の1990年に片山龍太郎さんと結婚されているため、交際期間については1年に満たなかったのではないかと考えられます。
筆者今で言うスピード婚だったんだね。
結婚時期

片山さつきさんが夫の龍太郎さんと結婚したのは、1990年で、片山さつきさんが31歳の頃でした。
当時を振り返り、片山さつきさんは次のようにコメントしています。
再婚は難しいだろうと諦めていた頃、今の夫と再婚して、やっと私も人並みに自然に恋愛結婚できました(笑)。31歳でした。そのときから人生が始まった感じ。今振り返ってもいちばん楽しかったのは新婚時代。
出典元:美ST
離婚という辛い経験をされた後に、以前交流があった素敵な男性・龍太郎さんが側で支えてくれたんですね。
また、片山さつきさんご自身が「恋愛結婚」とコメントされているので、お互い想い合って一緒になるという結論に至ったようです。
そして、夫婦仲は良く、結婚から30年の節目を迎えた頃、デザイナーの桂由美さんから真珠婚カップルに選ばれ、ショーに出演。

ダンディーにはにかむ龍太郎さんの姿が印象的です。
そんな夫・龍太郎さんは、現在仕事が落ち着き時間の余裕があるため、妻のさつきさんの相談相手になってくれるそうです。
世の中の問題について妻のさつきさんが伝えると、的確なアドバイスをしてくれるとのこと。

また、いくつもの企業の社長を務めた経験から人脈も広く、人の紹介もしてくれることもあるとか。
共通の話題も多いとのことで、話が尽きないようですね。
筆者片山さつきさんは、龍太郎さんを頼れるパートナーとして心から尊敬していることが伝わります!
片山さつきと片山龍太郎の子供はいない

片山さつきさんと片山龍太郎さんとの間には、お子さんはいません。
片山さつきさんの結婚後のあゆみについてお伝えします。

片山さつきさんは、夫・龍太郎さんとのお子さんを望んでいました。
そのため、38歳~43歳までの間、不妊治療をされていたそうです。
計20回ほど体外受精を経験されましたが、着床したと思ったら超早期流産を繰り返すという結果に。
超早期流産とは、「超早期流産」は、妊娠12週未満の流産を指し、流産全体の90%を占める。
その際片山さつきさんは、37歳以降で女性の卵子は老化するという事実を初めて知ったと明かしています。
2025年現在では、晩婚化傾向という流れから、不妊治療や高齢出産は浸透してきていますが、当時は認識している人が少なかったとのこと。
最後の手段として、代理出産という方法が残されていましたが、夫婦間で話し合った結果、子供を持つことを諦めるという結論に。

片山さつきさんは、三日三晩、涙が枯れ果てるまで泣いたそうです。
その後、片山さつきさんは新たな決意を固めます。
どうしても子どもが欲しかった私はそこで一度死んだ位の挫折感で「これからの人生は日本中の子どもの将来のため、即ち国家国民のために生き、尽くそう」と思い定め直しました。
出典元:Wendy-Net
その決意の表れとして片山さつきさんは、2021年まで内閣総理大臣を務めた、菅義偉氏が掲げた不妊治療の保険適用支援拡大を推進。
そして、2022年4月より不妊治療の保険適用が導入されています。
筆者これにより、経済的に負担が大きい不妊治療が受けられるようになった多くの夫婦から感謝の声が現在でも届いています。
今後も、片山さんは日本の子供の将来のため、尽力されていくのではないでしょうか。
元夫・舛添要一との離婚理由は?

実は片山さつきさんには離婚歴があり、元夫は東京都知事を務めたこともある政治学者の舛添要一(ますぞえよういち)さんです。
そこで、片山さつきさんの1度目の結婚相手である舛添要一さんとの離婚理由について調べてみました。
片山さつきさんと舛添要一さんの離婚理由は、舛添要一さんの女性問題だったと言われています。
片山さつきさんが舛添要一さんと結婚されたのは、1986年で、お見合い結婚でした。

片山さんは、大学卒業後大蔵省に入省してから結婚願望はあったものの、出世と引き換えにプライベートはなくなっていくという過酷な環境だったようです。
そして、当時女性の結婚適齢期とされていた27歳で舛添要一さんとお見合い後、結婚されたという流れでした。
結婚後は、片山さつきさんが思い描いていた幸せで甘い生活とはかけ離れた現実が襲ってきます。
片山さん曰く、今で言うところのDVやモラハラを舛添氏から受けていたそうです。
手取り20万円の給料から5万~10万円お金を入れさせられる
仕事で遅くなると「遅く帰って来やがって」と物を投げつける
ナイフを片山さんの前に並べたり、刃先を向けてきた
日常的に繰り返される舛添氏からのDVやモラハラに、片山さんは結婚から3か月で離婚に向けて動き出します。
片山さんが弁護士に相談したところ、何と舛添氏に愛人がおり、しかも妊娠していることが発覚。
片山さんは離婚調停を申し込んだものの、舛添氏が応じなかったため、長引いた結果、結婚から2年3か月かかって離婚が成立したそうです。
お陰様で29年前再婚した今の夫は、女性を対等に見られる、オトナです。最初の結婚から3ヶ月で異常を感じて、女性弁護士さんに駆け込み、多くのDV例を聞いて、自分の置かれた状況を理解。最悪の事態を免れ、離婚できましたが、野田市の事件の様に洗脳や諦めで戻ってしまう例多いです。救いたいのです。 https://t.co/q6dMoeaLpk
— 片山さつき (@satsukikatayama) February 5, 2019
片山さん曰く、「悪い思い出しか残らない結婚だった」、「結婚したことがそもそも間違いだった」と激白。
一度目の結婚・離婚は片山さんの人生の中でも相当深いダメージを負ったことが分かります。

現在、片山さつきさんは元夫である舛添要一氏との交流はあるのかというと、舛添氏曰く「40年間連絡してない」と明かしています。
片山さんが財務大臣、金融担当大臣に就任した際もおめでとうLINEを送る等もなかったとか。
筆者お互い、それぞれの道を歩んでいるということですね。
一方、現在の夫である龍太郎さんのことを話す片山さつきさんの表情は穏やかで、お2人は対等な関係を築けていることが分かります。
また、お互いを尊重しながら30年以上を共に過ごされており、片山さんにとって龍太郎さんが運命の相手だったといえそうです…!
まとめ
今回は、片山さつきさんと片山龍太郎さんの結婚の馴れ初めやお子さんのこと、また噂話についても紹介しました。
現在国会で高市早苗総裁と共に活躍される姿が連日話題になっている、片山さつきさん。
日々活躍される片山さつきさんの力の源は、間違いなく夫・龍太郎さんの支えなのだろうと強く感じました。
今後も片山さつきさん・龍太郎さんの活躍を見守っていきたいと思います。

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